これは昨晩の話です!(日本語で書いたメモ)

シャワーを浴びてから携帯を開いて、Youtube上にアップロードされていたGoogleのZeitgeist2018の映像をたまたま見た。例年なら12月になる頃には毎日のように、一年の世界の出来事がまとめられたこの動画がアップロードされているかどうかを確認して(まあすぐに忘れるのだけれど)、12月第三週に差し掛かる頃に急に思い出して動画を見るとどうやら期待していたほどその動画に入り込めた訳ではなかったことに気付く。少々の落胆をした僕はそのままクリスマスを迎える。自分が過ごしたこの一年と世の「今年」の差が益々広がっていくことに呆然し、自分というリアリティを感じざるを得なくなってしまう、そんな年末になってしまうからだ。~

まあ新年になれば年末の落胆なんてすぐに忘れ、そしてあっという間に次の12月を迎える。今年の年末が特別余裕がなかったのか、年末にこの動画がアップされるということすらも忘れてしまっていた。台湾にいることで僕にとっての年末を気付かぬうちに春節に合わせてしまっていたからなのか、それはどっちなんだろう。

台北という土地にコミットして気が付くのだけれど、年末は101のカウントダウンが終わって花火を打ち終われば、皆すぐに「さらりと」それぞれの帰る場所に帰ってしまう。ササーッと、家に帰る。まあ僕もなんだけど。あっという間の年末年始だ。その次の日に一日中寝れば、また普通の生活に、学校や会社に行く。それともみんなは、普段何処に行くんだろう。ともかく、普通の生活にさらりと戻ってしまう。

「まあ台湾は春節だから、」という言葉を日本に置き換えてみても、そもそも日本には春節を「さらりと」過ごすこともない(そもそも春節という文化は残っていない)ので、これは僕がここにいることでしか感じることのできないことなのかもしれない。

そのGoogleの動画を見終わってお腹が空いたので、家を出てコンビニに行った。ジャケットを羽織ったのにコンビニまでの数十メートルの寒さに凍えてしまう。とても異臭のするこの道は、暑ければ共に臭いが増す。12月になっても暑い、汗のかく冬がつい先週まであったのだけれど。寝起きの昼に雨が降り始めてからはあっという間にこの土地ならではの冬になってしまったよう。

僕にとって本当の冬、というのは(今の所)Twitterを通して見かける日本人の寒さだ。18年間東京という土地で生活をしていれば、自分の中での「積み重ね」があって、それと違ったものに触れれば僕は「違う」と感じてしまう。例えば、僕は今日本のマクドナルドのポテトが食べたい。

そんなこんな、台湾で日々を積み重ねて2年が経とうとしている。「増田は2017年と2018年は東京にいなかったよね、」と友人が言うならば、それは彼にとっての僕のいなかった時間の「積み重ね」があって、まあ僕が急に帰ってもその「積み重ね」を肌感覚で共有できなかった訳で、もうそれはもとに戻せないのかもしれないけれど。

そうしてコンビニに辿り着くと、馴染みの深夜勤務の陽気なおじさんがレジ前で携帯を弄っている。いつもなら「そういえばさ~」と話しかけてくる。「日本人の女と遊んだことないんだよね」と話しかけてきたときあの日、僕が「じゃあ何人と遊んだの?」と聞く気にはならなかったのは非常に眠たかったから。じゃあ今日僕が話す気満々で彼に目を合わせようとすると、僕をひと目みてから横画面に持った携帯にまた目を戻した。

僕は深夜にコンビニに行って空腹を満たすことが多いからこのおじさんのことはしょっちゅう見かけるのだけれど、彼がどんな人間で、どんな時に話しかけてくるのか、とか、そんなことも「積み重ね」の中で段々と分かっていくのかな。まあもうすぐすれば今住んでいるところの契約を更新するか引っ越すかを決めなくてはならなくて、もしかしたら僕のその決定の中でその「積み重ね」も急に断たれてしまうことになるのかもしれないけれど。

時間というものは、現在進行していることやその前に起こった過去を反芻しながら、明日の日常のことも考えなくてはならないから、すごく矛盾しているなあとも思う。時間にも「積み重ね」があって、僕はその全てをリスペクトして、明日をアップデートしていくしかない(のだろう)。

そして家に帰ると、例えばリビングの電球がきれていたり、トイレットペーパーがなくなりそうなことに気付いたり、ゴミをいつ捨てようかなと考えたり、そんな些細な日常が積み重なって、一年なんてあっという間に過ぎてしまう。

明日からは台湾の南の方に行って、サッカーの大学リーグに今年も参加する。去年の試合がついこの間のように思い出される。でも、一昨年のことは何も思い出せない。それは、僕が場所を変えて「積み重ね」を一時的に断ってしまっているからでもあるのだけれど。

一年前に一緒に遠征に行った仲の良かった人たちも大学を卒業して、新しい場所にコミットしているという。話を聞けば、新しい目標があったり、或いは迷いながらも自分なりになにかに向かって一歩を踏み出そうとしたり。彼にとってのその小さな「一歩」もいずれ「積み重ね」になって、背中を押してくれるんだと思う。少しの時間であろうとも僕と出会った全ての人々の未来を祝福したい。

そう色んな人が日常に変遷を与えているように、僕の日常も、変わっていくのだろうか。僕は本物の渡り鳥を見たことがないけれども、渡り鳥だって長い時間をかけて何処かへ飛んでいくものだし、例えあと数週間で今年が終わろうとも、何かが終わったあとのことなんて考えられなくても、私のこんな日常はいつまでも続いていくのだろうと思う。

もうなにかを考えるのはやめにしよう。寝る前に携帯をいじる。インスタグラムを見たり、ニュースを見たり。日本では、「今年の漢字」が決まったというニュースがある。今年の漢字は「災」だ。多くの災害があって、一度の豪雨だけで200名もの人がなくなった。あれは夏前のことだったか。夏前はもう少し元気があった気がするんだけどな。まあ最近は寒い。

話が戻るけど、Google Zeitgeistの動画を初めて見たのは2011年だ。あの頃は父親のデスクトップのパソコンを使って見た。家の周りと、パソコンを通して見えるものしか世界にはなかった。だからアダルトサイトも勿論世界には存在しなかった。少年が少し遠目に経験した大震災では1万5千人の人がなくなったらしい。そんな少年がこんな莫大な数字を目の前にすると、エラーが起きてしまう。その数だけ、彼らのリアリティは、日常は「さらり」と断たれてしまったのであろう、なんてことを考えられるようになったのも成長したあとの高校生になってからだ。これも、「積み重ね」の中で言語化して整理できるようになったからだ。

もう。本当の本当になにかを考えるのはやめよう。こうして今日一日も無事に終わった。僕より早く寝て一日を終えた人も多くいるだろうし、まだ寝ない人もいると思う。ともかく、なにかを積み重ねていけば、きっといつか花開くときが来るのだろうと思い、僕は目を閉じて寝ます。

(そういえば最近こういう文章をFacebookに投稿できなくなったよね、色んな社会の責任を背負ったりすると、何を自由に発言できて、とかいろいろ考えなきゃいけないからいらいらしちゃうよね、たまに。)

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