カップラーメン

「前回いつ投稿したのかは忘れた」と書くのに、ひらがなが良いか、漢字が良いか、迷っていたらあっという間に3分が経って、カップラーメンが出来上がりそうだ。

ここまでの3分間を、思い出してみたい。

 

午前2時、

久々に実家に帰っていることを思い出した。

今迄住んでいた家のことを「実家」と呼んだのは今が実質初めてで、正直文字を打ちながら緊張をした。

台所は、その家族の性質が表れていると思う。誰かじゃない、誰かと誰か。

こう言ってしまうと母や家族や祖先、そして今付き合っている彼女まで、様々な人に申し訳ないが、実家の台所はキレイとは言い難い。父親が「ぶっきらぼうに」買ってきたカップラーメン、子供が喜ぶと思っているらしい。或いは、錆びたやカン、、、のとなりに少しスタイリッシュな新型のやカン。まあ、字間が時間を超えないように、説明はこのくらいにしておこう。

ともかく、ボクの実家の台所は不器用だ。

そんなカップラーメンを取り出して、やカンに水を入れてお湯を沸かす。こんな静かな深夜に聴こえるものといえば、金魚のいる水槽のポンプ、たまに鳴る時計、とりあえずは「情景描写」みたいなやつ。懐かしの音が、聴こえてくるよう。シーフードヌードルは台湾では高いんだっけ、そんなことを考えながらお湯を沸かした。

台湾では、基本的に外食か、彼女の持ってきてくれる朝食、深夜のコンビニ、何かが足りないのは、部屋にキッチンがないからか。六畳の部屋は、子供部屋と同じく、ベッドと机、そしてそれにシャワールームがついたようなもの。大人になったのかなってないのか、それは隣の部屋との壁がある程度厚いことで更にこんがらがせてしまう。

不器用な台所で作ったカップラーメンは何か物足りない。物足りないのは、何かを常に求めてしまうつまらない機能が人間に備わっているから。はいはい。つまらないことを言うのはやめましょう。ということで、卵を加えて、3分間待ちました。

なにか美味しそうになった。(最近、ノーフィルターの写真が好きです、ごめんなさい。)

あんなに美味しそうな温泉卵を電子レンジで作ることができるのを知ったのも、そう遠くない昔。電子レンジで35秒あたためて半熟卵を作ってご飯にかけた寂しい午後は、かなり昔の話。寂しそうで、寂しくないのが….人生。

ふと思う。生まれてから今迄、明らかに何かが変わっている。憧れのサイゼリアもマクドナルドも、全て手に入るようになってしまった。カップラーメンよりも美味しい食べ物は、一番近いところにあることを確信してしまった。変わってしまった、という語感を手に入れてしまった。

ラーメンも、お湯をかければ膨らみ、匂いが部屋に充満していく。その数十秒間に、何を思い、息を吹きかけたのだろう。

フタをあけ、口にいれる。ああ、美味しい。深夜2時のカップラーメンは、何かを思い出せ、切なさとともに、喉を通っていく。東京の乾燥にやられ、鼻と耳が詰まっているからぶっちゃけ味なんてわからないけれども、ボクは今日この夜、カップラーメンのことを考え、3分を生きることができたから、本当に幸せだ。

またね、は切ない言葉でもない。

残り汁を捨てて、ゴミ箱に容器を捨てた。

カラン、と音がした。

 

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