2017/02/07

みんながみんな「没入するものがなくて、路頭に彷徨っている」というようなことを言っている。受験と進学の間で揺れ動く自己に動揺しているのかなとも思う。

なんて他人事で書き始めようと思ったのだけれど、自分も例外ではない。

「今後、過去と同じように何かに没入することができるのか」と不安を抱える人間がいる一方で、案外現実にコミットしていく奴らもいる。

現実にコミットしようと、色々と目を瞑ってみた1月であったけれど、やはりコミットらしいコミットをすることはできなかった。

現実にコミットし、何かに没入していた頃を思い出せば、無邪気に笑い、頭を通ることなく言葉が喉から出て行っていたように思う。

何か一歩を踏み出すために十歩分の考慮を重ねて、表情筋と口に指令を送る、現実にコミットしようとしている自分に嫌気がさしてくる頃だった。

そんなことを考えながらも、昨晩は友人と映画の話をしていた関係で、終電で家に帰った。

終電後の改札の前で手ぶらで壁に寄りかかっていたのは部屋着姿の誰かの妻で、仕事疲れのサラリーマンが抱き寄せられ、肩を寄せ合って何処かに散っていく。或いは、酒に酔わされた中年の男性。或いは、やつれた「キャリアウーマン」。

その中に、18歳の自分が同じように改札を通っている、という情景を、何故か遠くから眺めているような気分にさせられた。

いや、遠くで見たかったのかもしれない。

愛情物語や、昇進物語、将来の夢物語も、どれも持ち合わせていない僕は、彼らと同じように改札を通り、駅員に急かされて駅を出て、家に着くと家族の顔を見ることなく床に着いた。

起きた。

それがついさっきの話。

寝ている間に、いろいろな夢を見た。

一つは、サッカー選手になる夢。小さな頃に描いていた、サクセスストーリーに乗っかっている自分が、最近よく夢で再現される。ワールドカップで点を決めた自分は、ツイッターに何かを投稿すればすぐさま数千のリツイートがされる。そこまで詳細に再現された夢。

もう一つは、大災害が起こる夢。津波で壊滅した街を眺めながら、

「結局さ、」

という語り口で、失くなったものを、元から無かったことにしてみる。
倒壊した我が家を目にして、

「心臓の音を聞いてごらん」

なんて突然、「生」に回帰しようとする。

現実の自分は、その極端な二つの間で、挟まれ、揺れ動いているような気はする。だから何か、彼らと同じように終電後の駅を歩くのは妙な気持ち悪さを感じるし、受け入れられない現実に、反抗をしてみたくもある。

だけども、もう既に反抗をする力を持ち合わせていないことを知らされる。

現実に押し寄せられる波、という表現をするけれども、「生」はもともとその連続であるし、余計なことを考えて生きていくことはできないのだ、とか考えてみる。

「結局さ、」

と夢と同じ語り口をする現実の自分がいる。

その後に

「なんだって最後はうまくいくもんだし、『どうしようもない』なんてことはない、全部どうにでもなるじゃない?」

なんて

続けられる自信はない。

その自信のない自分は、没入する対象を失い、コミットする可能性を信じられない友人を度外視することはできず、またその一員で、青春の波に呑まれながらも、誰しもが通る道を順調に、順調に歩いているのだろうな、と思う。

こんなことを言ったら

「急に俯瞰しやがった」

とか言われそうだけども、そこから脱出することだって、簡単じゃあない。
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